The Memory of TAKAJUN

怠惰な方向音痴の記録。

高専カンファ147福岡に添えて

帰って記事を書くまでが高専カンファだと、誰かが言っていた気がするのだが、そのことすらも帰ってから思い出したので、書くのに時間がかかっていることをお許しいただきたい。

今は、楽しかったという気持ちと、喪失感というか焦りというか、形容しがたいものが同居している。

まず今回の開催について私が祝いたいのは、高専カンファレンスという文化を断絶させなかったことだ。これだけで非常に大きな価値があるとは私は思う。

私が高専カンファレンスというものを知ったとき、既に高専生活は終わりに近づいていた。そのことをまず悔いた。こんな楽しいものが世の中にあることを何故今まで知らなかったのだろうか。悔しいから、これからはできる限り参加し続けたいと思って、1年ほど参加できる限り通った。

だが、2020年は暗黒の時代だった。何故だかは語るべくもないだろう。高専を卒業するという儀式すら私には許されていなかった。それでも長岡技大にいるうちは、高専界隈の一員だという自認があったが、だんだんと、高専界隈というものとのつながりも切れてきた。これもひょっとすると、積極的につながりを維持しようという精神に欠けていたからかもしれない。重要なことは、私はこうして、高専に対して未練を残したまま、気づけば社会人になってしまっていたということだ。その結果があの発表だともいえる。

だからこそ、3年ぶりのカンファレンスには、私は行かねばならなかった。失った青春を、取り戻そうとしたかった。今回印象に残ったことは、初めての参加者が大変多かったことだ。それはすなわち、この文化が次の世代に受け継がれるということだ。次は運営をやってみたいと言っている現役生が何人もいた。彼ら彼女らを、私は応援したい。どうか、悔いのない高専生活を送ってほしい。そして、この文化を受け継いでほしい。高専カンファレンスというものを通して変われたり、救われたりする高専生は、必ずいるはずだ。特にこの日、遠方から来た高専生は、その行動力を持っていてほしい。移動オタクをしていると麻痺しそうになるが、多くの人間は遠くに行くことを嫌うのだ。その壁を越えるだけで、並大抵のことではないのだから。

 

さて、今回も様々な話題を聞かせていただいたが、実に「高専カンファレンス」だと思う。クイズの話、中二病の話、水彩画の話、フラクタル図形の話、橋の話、いずれもここでしか聞けない、唯一無二の話だ。こんな話を聞ける機会も、話せる機会もそうそうないし、そういったことができる場は、ありつづけてほしい。

私の話をするなら、私もこういう話ができる場をずっと求めていたからこそ、ああいう発表をした。私は人前で話すのが大の苦手である。けれど、高専カンファレンスなら、勢いで会場を沸かせることだってできてしまう。高専カンファレンスがなかったら、そんなこともできなかっただろう。だから本当に感謝しているし、いつまでも登壇し続けたいとすら思う。高専カンファレンスの主役が現役生であることを思えば、特筆すべき活動をしているわけでもない私が彼らの発表の場を奪うような形になるのは全く望ましくないであろう。私には何もないから、高専カンファレンスというものに固執しまっているのかもしれないと思う。

そう考えたとき、辛くなってしまった。「私は何もやりたいことがない」という発表をして、確かに会場を笑わせることができてしまったけど、私は本当にそれでよかったのだろうか?私はこのままでいいのだろうか?私は今の人生に、まあまあ満足しているし、それでいいと確かに言った。けれど、あそこで見た高専生は、例え高専を退学していても、やりたいことに向かって行ったことを誇っているように見えて、辛くなってしまった。ポテンシャルはそんなに悪くないのかもしれない。誰か、助けてくれないか。そうやって他力本願になっている時点で、やっぱり私はダメなんだと思う。

やっぱり、何もやりたくない人間であることには、胸を張るべきじゃない。やりたいことを見つけるべきなんだ。私ももうちょっと、私なりの道を見つけたいから、せめてそれまでは反面教師にでもしてほしいと思った。