The Memory of TAKAJUN

怠惰な方向音痴の記録。

【第21話】とある社会不適合者から、高専への、ありがとう。

この記事はNara高専 僕たちの遺言集 Advent Calenderの21日目の記事です。
読み応えのある記事が揃っているので、ぜひ読んでいただきたいと思います。

Adventar.org

 

はじめまして(2回目)

えー、はじめまして。遺言集の21番手を担当させていただきます、たかじゅんと申します……って言いたいのですが、このアドベントカレンダーでの登場も2回目ですね。「お前誰やねん」って方は、第3話で軽く自己紹介をしているのでよろしくお願いします。
前回「話が重いです。」というお叱りを頂いてしまいましたが、今回も例によって、それどころか前回に輪をかけて気持ち悪い自分語りをお送りします。気分を害された方は、ブラウザバックを推奨します。

 

生まれながらにしてオタク

さて、社会不適合者なんて自称するものではないとは思うのですが、自分はそうであると感じざるを得ないのです(思わないとやっていけないのかもしれません)。ではいつからこうなってしまっているのでしょうか。自分で考えるに、生まれつきなのではないか、遅くとも物心ついたときには既に社会へと適合するつもりはなかったように思えるのです。

というのも、幼稚園児の頃から既に、私は一緒に遊ぶような友達がおらず、一人で本を読んだり絵を描いたりばかりしていたからです。読む本というのも、絵本とかではなく、自動車・鉄道・生物・将棋などについての、少し詳しい本ばかり読んでいました。このような書物は幼稚園児向けには書かれていませんから、必然的に漢字を沢山覚えるという作用もありました。このせいで知識量はとても増えましたが、友達と一緒に外で遊ぶという健康的なことはろくにしなかったので、運動能力は全く身に付きませんでした。

つまるところ、この当時から単なる「オタク」だったわけです。身の回りの人達は、それを特段悪いとは考えていなかったでしょう。両親ともにオタク気質はありますし、何よりとても幼稚園児レベルではない知識量を身につけていたのです。将来が有望だ、程度に考えていてもおかしくありません。

 

メンヘラ小学生

小学校に入っても、自分という人間自体は変わりませんでした。小学校低~中学年程度の勉強など、本やテレビ番組から身につけた知識の範囲内にすぎません。小学校1年の途中でいま住んでいる志紀に引っ越し、地元の図書館にも通うようになると、歴史、地理、数学、化学など、いろいろな分野の本を読み漁るようになりました。ここで身につけた知識は、今でもクイズで存分に役立てることができてしまっています。

ですが、周囲の環境は変わります。簡単に言ってしまうと、いじめが始まりました
いえ、おそらく当人達にはいじめているという自覚はなかったと思います。今思い返せば、嫌がらせをして泣かせるようなことはあっても、物を壊されるとか、怪我をさせられる、みたいなことはありませんでしたから、ある程度のラインは弁えていたとも思います。とはいえ、私にとっては紛れもないいじめでした。

なぜこのような目に遭ったのか、考えるまでもないでしょう。輪に入ろうとせず、知識をひけらかしては頭良いアピールをし、筋力・体力はとても弱く、少しちょっかいをかければ過剰なまでに怒り散らして泣く、という子供でした。そのような子供に嫌がらせをするというのは子供の娯楽として、ごく一般的でしょう(そうあるべきではないとは思いますが)。

そして私は、メンヘラになりました。小学校2年生ぐらいの時には既に、「僕はバカでアホでゴミでクズでカスで、誰にも必要とされていない、早く死んだほうがいい、生きる価値がない」ぐらいのことを考えていた、という記憶があります。
メンヘラになった私は、それを行動で示しました。授業中に床で寝てみたり、「ゴミが落ちていたので捨てました」と言ってゴミ箱に入ったり、配布プリントに書いた名前の周りに「ゴミ→」「←死ね」などと書きまくったり、教室の自分の机を齧ったり、など、奇行に走りました。こんなことをしている子供が周囲に嫌われるのは当然ですから、ますます嫌がらせをされるようになりました。

また、いつ頃からかはもう覚えていませんが、宿題をやらなくなりました。わかりきったことを延々と繰り返される宿題なんていうのは苦痛でしかありませんでしたが、ここで「タスクをサボる」ということを身につけてしまったことは、今でも引っ張っています。

こうしてステレオタイプないじめられっ子オタクになってしまったわけですが、勉強は問題なく(周りの誰よりもと言っていいほど)できましたし、身につけた雑学で先生と語り合ったり、学級委員を歴任したりなど、一部ですが充実していた部分もありました。

そして、もう一つ大事なことは、私は周りのほとんどを見下していたということです。自分は周りより知的で、高尚な人間である。周りの人々は低俗だ、と。

 

陰キャオタクを極める

さて、私がインターネットに触れるようになったのは、小学校5年生ぐらいの頃でした。最初は父親のPCでこっそりインターネットを見ていて、そのうち公然とやるようになりました。

インターネットでは、あらゆる分野の知識を簡単に仕入れることができます。知識を蓄えるのが何より大好きなオタクにとって、これほど便利で素晴らしいものはありません。当然、すぐにのめりこみました。

もう一つ幸せだったことは、インターネット上には、私と同じく、(大変失礼ですが)社会不適合オタクとでも呼べるような人々がたくさん生息しています。彼らとは簡単に仲良くなることができました。

中学校に入ってからは、学校から帰ったらほぼずっとインターネットをやってましたし、2chニコニコ動画からオタク文化を学びました。Twitterを始めてからはさらにです。

さて中学校の環境はというと、私のいた中学校の校区は小学校とイコールであったために、一部の中学受験した人達がいなくなることを除けば、メンバーは変わりません。つまるところ、ほとんど変わらないのです。とはいえ、年齢は変わりますから、少しずつやることは変わってきます。「やんちゃ」が「DQN」になるような感じです。そして私はオタクへの道を突き進んでいるのですから、さらに合わなくなってきます。それでも少しは仲のいい友達がいたのですが、中学校三年生の頃になると、数少ない友達とことごとくクラスが離れてしまい、完全に孤立してしまいました。

中学校三年生というのは通常なら受験の時期なのですが、勉強する習慣がなかった(第3話参照)私は、ひたすらTwitterをしていました。私の中でこの頃がTwitterが一番楽しかった時期だと思います。Twitterで人間関係を広げた私は、オフ会に参加するようになりました。中学生でオフ会なんてほめられたことではないと思いますが、不健全な要素はほとんどありませんでしたし、気の合う友人同士ですから、学校よりはずっと楽しかったです。

 

成長しない人間

さて、ここまで読んで、私と高専生活を過ごした方であれば、「昔の頃の話みたいに言ってるけど、今のお前じゃん」という感想を抱かれたのではないでしょうか。

そうです。今の私です。

先程上げたような奇行は高専に入ってからも止め(ることができ)ませんでしたし、他方では(一部の教科限定ですが)テストでそこそこの点を取ったり、委員会をやったりしているという性質は何も変わっていないのです。幼少期に身につけた人間の性質というものは、簡単には変わらないのでしょう。

しかし、何度も言うようですが、環境は変わります。私は、今いるこの環境ほど、私にとって幸せな環境はないと思いますし、だから将来が怖いのです。

 

人の根っこは変わらないけど、伸びる枝は変わる。

高専に入っても、はじめは馴染めるかとても不安でした。なにしろ、これまでの人生でまともに友達ができたことがなかったのです。そして、どこでどう繋がったのか、既に仲良く話している人達がいるのです。その中に入っていく勇気など、あるわけがありません。

ですが、これは杞憂に終わりました。Twitterでクラスメイトをフォローすることから始めた私は、いつのまにかクラスに溶け込んで遊んだり、話したりするようになりました。

友達ができたのです。

高専は留年しなければ、5年間クラスが変わりません。このような環境で、クラスメイトのほとんどと良好な関係を築くことができたことは、非常に幸運です。今までの人生からすれば、あり得ないことでした。

友達ができたことで、自分にも変化が起きました。その最も大きかったことは、自己肯定感が身についたことです。クラスメイトが、いろいろな理由で、私を必要としてくれていることに気づきました。こんな自分にも生きる価値があるのです。

さらに、自己肯定感が身についたことで、今までの偏った考え方から離れ、自分と他人の良いところと悪いところについてある程度客観的に見ることができるようになりました。

そうはいっても、前述した通り、私の性質が変わったわけではありません。私は今に至るまでメンヘラで、時には昔のような思考を延々としてしまうこともあります。けれど、それでも私は変わることができたと思うのです。
それは何より、私の嫌になるほどたくさんある短所だけではなく、自分でも気づいていなかったような様々な長所に気づき、受け入れてくれた、クラスメイトや先輩方、さらには後輩の皆さんのおかげです。自分の長所と短所が客観的に評価されることで、自分も他人の良いところに気づくことができるようになり、人間関係を学ぶことができました。

 

高専への、ありがとう。

私が今こうして生きていられるのは、高専という環境に行き、自己の承認欲求を適切に満たすことができたからに他ならない、と自分は考えています。

高専生のネタツイのテンプレに、「高専には来るな」というものがあります。私はこのようなネタがあまり好きではありません。確かに厳しいことはたくさんありますし、人によっては全く合わないということも少なくありません。
しかし、高専に来たことで救われた人間は、確かに存在するのです。

そして、何よりも感謝しなければならないのは、私という一人の人間と共に過ごしてくれた、同期・先輩・後輩に限らない、高専の皆様です。この中に、たかじゅんという人間を救ってやろうという使命感で動いていた人間はおそらくいないでしょう。それで良かったのです。

私は未だに、社会不適合者です。起床に失敗し、タスクを積み、勉強を怠り、後で大変なことになる、そんな人間です。初対面の人と話すのも大変です。メンヘラです。でも、みなさんのおかげで、生きられています。壁にぶつかったとき、何かしらの助け舟を出してくれる方が、私の周りにはいます。

5年間通った高専ですが、私は卒業しなくてはありません。これから新しい環境でやっていけるのか、すごく不安です。自信はありません。でも、なぜか生きていけるような気がするのです。

 

最後に、これはただのお願いなのですが、たかじゅんという高専生がいたことを、忘れないでいてくれると嬉しいです。それが、私への一番の励みになります。またTwitterで駄弁りましょう、ひょっとすると会う機会もあるかもしれません。

 

今まで、本当にありがとうございました。

これからも、よろしくお願いします。